Saturday, May 20, 2006

Helene Schjerfbeck











Helene Schjerfbeck (ヘレネ・シェルフベック、ヘレーネ・シュールフベック、ヘレネ・シュイエルフベック、ヘレナ・シェルフベック)
1862年7月10日にフィンランドのヘルシンキ (Helsinki) で生まれ、1946年1月23日スウェーデン中東部にあるストックホルム県 (Stockholms län) のナッカ・コムーン (Nacka kommun) のサルトショーバーデン (Saltsjöbaden、 サルトシェバーデン) で亡くなった。
フィンランドの画家。

さほど裕福とはいえない家庭に生まれた。
1873年、11歳でフィンランド芸術協会絵画学校 (Suomen Taideyhdistyksen piirustuskoulussa) で学び始め、指導をしていた画家のアドルフ・フォン・ベッカー (Adolf von Becker) に才能を認められ、アフトラ=ムーアハウス (Ahtola-Moorhouse) の私設のアカデミーで無料のレッスンを受けるようになった。
その後友情で結ばれる5歳年上のヘレーナ・ウェスターマーク (Helena Westermarck) と最初に出会ったのはフィンランド芸術協会絵画学校でのこと。

1876年2月2日、ヘレネの父親が結核で亡くなり、シュールフベック家は財政的にかなり逼迫した状態となる。
ヘレネの母は仕方なく、自宅に寄宿生を受け入れ、生計を立てるようになった。
その約1年後にヘレネはフィンランド芸術協会絵画学校を卒業したが、アドルフ・フォン・ベッカーのヘルシンキ大学を利用した私設のアカデミーで絵画の勉強を続行。ここでのレッスンは無料とはいかなかったので、ヘルシンキ大学で解剖学の教授をしていた Georg August Asp がそのレッスン料を負担したという。
このレッスンでヘレネは油絵に関心を持った。

1879年、17歳となったヘレネの作品は評価を得るようになり、フィンランド芸術協会のコンペティションでは3位に入賞。
1880年には年次のフィンランド芸術協会展で作品が展示された。
この年の夏、ヘレネは母方の叔母セルマ・プリンツ (Selma Printz) とその夫トマ・アドレールールツ (Thomas Adlercreutz) の邸宅で過ごし、いとこをモデルに絵を描くなどしている。
また、帝国ロシア上院から旅行奨学金を得ることが出来たため、遊学先にパリを選択。

パリでまず始めたのはヘレーナ・ウェスターマークと共に絵を描くこと (ウェスターマークは一緒にパリに着たのか、その前後に来たのかは不明)。
その後、パリで知り合ったレオン・ボナ (Léon Bonnat) と Trélat de Vigny 夫人のスタジオに絵画の勉強に通い始めた。
1881年、パリ6区にある美術学校アカデミー・コラロッシ (Académie Colarossi) で再びヘレーナ・ウェスターマークと勉強を再開。
帝国上院から再び奨学金を得ることが出来たヘレネは、パリから南西に十数キロ離れた場所にある街ムードンで2ヶ月、フランス西部のブルターニュ地方にある港町コンカルノーで 2、3ヵ月過ごすのに費やしている。
その後一旦アカデミー・コラロッシに立ち寄り、アドレールールツの家族が暮らす邸宅へと戻った。
ヘレネは絵を描き続け、様々な人にあい勉強を重ねていった。
また、ヘレネは芸術協会で作品を展示し続けることで収入を得たのもこの頃のことで、本のイラストを描いたりもしている。
1884年、ヘレネはヘレーナ・ウェスターマークと共にアカデミー・コラロッシに戻ったが、今度は生徒としてではなく、仕事として戻ることになった。

フィンランド芸術協会から旅行資金を得られたヘレネは、 1887年、イングランドのアイヴスに旅行。
アイヴスにはパリで知り合った友人のマリアンヌ・ストークス (Marianne Stokes、旧姓はPreindlsberger) が夫で画家のエイドリアン・ストークス (Adrian Stokes) と暮らしていたからで、マリアンヌは快くヘレネの訪問に応じ、絵を描くためのスタジオまで提供してくれた。
エイドリアンは絵の私塾を開いており、ヘレネはその授業に参加。
どうも二人の間には情事らしきことがあったらしく、しかかもそれがあまり幸福な結果をもたらすことはなかったらしい。
この出来事は、ヘレネを少女時代の暗い思い出に立ち返らせ、"The Convalescent" を描く動機となった、ということのようだ。
"The Convalescent" は1888年に完成し、1889年、パリ・ワールド・フェアで銅メダルを獲得。
後にフィンランド芸術協会はこの作品を購入している。

1890年代、ヘレネは美術協会の描画学校で定期的に教鞭を執り始める。
1901年、健康を損なったヘレネは、教壇に立つことが出来なくなり、回復の見込みがないことから、1902年、その職を退いた。
1913年、ヘルシンキの北に約50km離れたところにあるヒュヴィンカー村 (Hyvinkää) に母親と共に移り住み、母親の世話をしながら創作活動に打ち込んだ。
それまで属していた芸術業界からは疎遠となり、両者を結び付けているのはヘレネの友人が送ってくる芸術雑誌だけという状態になったそうで、それまで絵を描くこと以外にあまり眼を向けることがなかったヘレネが、読書や刺繍を趣味に新しい楽しみを知ったのも村で暮らし始めてからのことだという。
ヘレネの創作意欲は村での生活で活発になり、静物や風景以外にも、母親の肖像画、地元の学校の女の子、女性労働者、そして自画像を制作し、Wikipedia によると (この部分以外も Wikipedia からなのであれだが)、この時代以降、ヘレネの作品は近代画家のそれとなった、とされている。
Culture Jammer いのちの旅というブログ――残念ながらもう存在しない――に、ヘレネ・シェルフベックの展示会か何かのパンフレットを翻訳したものがあったので、この辺りで引用させてもらうと、

ヘレネ・シェルフベックは若い時から健康に恵まれず、後には更に孤独な暮らしを強いられた。彼女の初期の作品には歴史画や風俗画から肖像画、静物画、風景 画にいたるまで近代の代表的主題の大部分が含まれている。シェルフベックの絵画は洗練されているにもかかわらず、かなりの情感を秘めている。
1890年代の主題も殆どが80年代と同じで一人または二人の人物、特に女性や子供、室内風景、数点の風景に力を注いでいる。様式的にも洗練された簡潔化への前進がみられる。
シェルフベックは健康上の理由で1903年に農村に引きこもるようになったが、彼女の創作活動は再び盛んになった。彼女の作風は詳細な形状にこだわらない 簡潔な構図や、実物よりも美しい色彩を使うことで、抽象的な画法に変化した。彼女は生涯を通じ、作品を凝縮し、簡潔に、洗練させていくことに力を注いだ。 彼女は決して造形性を否定したわけではなかったが、その作品は彼女と同時代の他のほとんどのフィンランドの画家に比べ、より抽象性に傾いている。

ということらしく、ヘレネの色彩へのこだわりと抽象化をもって近代画家と捉えればよいということになるのだろう。
ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー (James Abbott McNeill Whistler) やエドヴァルド・ムンク (Edvard Munch) の作品と比較されるのもこの時代の作品だという。

1913年、フィンランドの美術商だったイェスタ・ステンマン (Gösta Stenman) に再発見され、展示会にあわせて旅行をしたり自伝の執筆するなど、改めて成功を収めることとなった。
しかし、自身の健康の問題や1923年の母親の死などから徐々に旅行に出ることもなくなっていく。
1944年、スウェーデン中東部にあるサルトショーバーデンに移住し、2年後、1946年1月23日に同地で亡くなった。


ポストしたのは、

"Portrait of a Girl" (1886)
"Circus Girl" (1916)
"Portrait" (c.1930s)
"Girl With Blue Ribbon" (1943)
"L'Ecolière (School Girl in Black)" (1908)
"Onkiva tyttö (Fishing Girl)" (1884)
"Nukkuva Tytto" (1890)
"The Dancing Shoes" (1882)
"Katkelma" (1904-05)
"Couturière" (1905)

の10点。
年代順に並べなかったので、多少分かり辛いかもしれないが、上で引用したパンフレットの解説にあったように、時代が新しくなるにつれ、簡潔化、抽象化が進み、絵が洗練されたものになっていくのが分かるだろう。

Wikipedia
Aurora Boreal
O SÉCULO PRODIGIOSO
Helene Sofia Schjerfbeck (1862 – 1946) art picture. Комментарии : LiveInternet - Российский Сервис Онлайн-Дневников
Women Artists in Cornwall: Helene Schjerfbeck ~ An Interrupted Narrative
Figuration Féminine: Helene Schjerfbeck (1862-1946)
It's About Time: Woman Artist Helene Schjerfbeck (1862-1946)
It's About Time: Woman Artist Helene Schjerfbeck (1862-1946) Paints Children
Helene Schjerfbeck - Flickr: Search



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