Saturday, July 1, 2006

Peter Blake











Peter Blake (ピーター・ブレイク)
1932年にイギリス南東部にあるケント (Kent) のダートフォード (Dartford) に生まれる。
リチャード・ハミルトン (Richard Hamilton) と並んで英国のポップアートを代表するアーティスト。

1948年から1951年にかけてグレイヴゼンド技術大学及美術学校 (Gravesend Technical College and School of Art) で学んだ。
1951年から1953年まで英国空軍で兵役に就いた。
1953年から1956年にかけてロンドンにある英国王立芸術大学院 (Royal College of Art, RCA、ロイヤル・カレッジ・オブ・アート)  で学んだ。
RCA卒業後、アーティストとして活動を開始。

1956年8月、ブライアン・ロバートソン (Bryan Robertson) がキュレーターを務めた展示会 「これが明日だ (This is Tomorrow)」 展がロンドンのホワイトチャペル・アートギャラリー (Whitechapel Art Gallery) で開催され、建築批評家のテオ・クロスビー (Theo Crosby) が思いついたアイデア 「人間の感覚と居住」 をテーマに、アーティスト、建築家、ミュージシャン、グラフィックデザイナーが単独で、あるいはコラボレーションといった形で参加し、中心となったアーティストのひとり、リチャード・ハミルトンが展示会のカタログ用に "Just what is it that makes today's homes so different, so appealing? " というコラージュを制作したが、このコラージュ作品は話題を呼び、ここにポップアートが誕生した、という1950年代後半から始まるポップアート・ムーヴメントの波に乗り、ブレイクは英国現代美術、ポップアートを代表するアーティストのひとりとなっていく。
絵画に広告などをコラージュするという作風はこの頃に確立されたもの。
1960年、初の個展を開催。
1961年、「若手現代芸術家展 (Young Comtemporaries)」 に出品。
この展示会にはデイヴィッド・ホックニー (David Hockney) やロナルド・ブルックス・キタイ (Ronald Brooks Kitaj, R. B. Kitaj、R・B・キタイ) らも出品しており、ポップアート新世代のお披露目といった趣であったという。
1963年、アメリカ出身の前衛美術作家ジャン・ハワース (Jann Haworth) と結婚 (1981年に離婚)。
1964年から1967年までRCAで教鞭を執った。

1967年、美術商のロバート・フレイザー (Robert Fraser) 経由でビートルズのアルバム 『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド (Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)』 のジャケットデザインを依頼される。
依頼までの事のあらましについて軽くまとめてみよう。
休暇を過ごしたアフリカからの帰りの飛行機の中で次のアルバムのコンセプトを考えていたポール・マッカートニーはビートルズのメンバーが架空の楽団の一員としてコンサートに臨むというアイデアが浮かび、そのアイデアを頭の中で転がしていると、旅行に同行したロード・マネージャーのマル・エヴァンズ (Mal Evans) が機内食に付いていた容器のパッケージの "S" と "P" というマークの意味を尋ねてきたので、塩胡椒 (Salt & Pepper) だねと答え、ソルト・ン・ペッパー → サージェント・ペパー (ペパー軍曹) という駄洒落を思い付いた。
この話を他のメンバーに話しアルバムのコンセプトを発展させて固めていた時に、ジャケットはメンバーそれぞれに影響を与えた人物たちとの集合写真にしようということに。
最初、メンバーは自分たちでジャケット・デザインに取り組んでいたが、曲を作るのと同じという訳にもいかず、ロバート・フレイザーに相談した、という流れで、気鋭のポップ・アーティストの夫婦、ピーター・ブレイクとジャン・ハワースはコンセプチュアル・アートの隆盛と並行するかのように産み出された革命的なコンセプト・アルバムを飾るジャケットを手掛けることになったのである。
ちなみに、1984年にエチオピアの飢餓難民を救うためのチャリティの一環としてボブ・ゲルドフ (Bob Geldof) らによって企画されたバンド・エイド (Band Aid) のアルバム "Do They Know It's Christmas?" のジャケットを手掛けたのもこのピーター・ブレイク。

1969年、拠点をロンドンからイングランド西部にあるバース (Bath) 近郊のウェロー (Wellow) という村へと移した。
これを機に制作する作品にも変化が起こり、この年には英国のフォークロアやシェイクスピアの登場人物を元にした作品を制作。
1970年、ルイス・キャロルの 『鏡の国のアリス (Through the Looking-Glass)』 を水彩画のイラストで制作するプロジェクトに取り掛かり、若手アーティストのセリア・ワンレス (Celia Wanless) をアリスのモデルとして起用した。
1975年には、イギリスの伝統への回帰を謳った芸術グループ 「田園主義者派 (Brotherhood of Ruralists)」 を立ち上げ、

デイヴィッド・インショウ (David Inshaw)
アン・アーノルド (Ann Arnold)
グラハム・アーノルド (Graham Arnold)
アニー・オヴェンデン (Annie Ovenden、アニー・オーヴェンデン)
グラハム・オヴェンデン (Graham Ovenden、グラハム・オーヴェンデン)

がグループに参加。
ブレイクと同じく、グラハム・オヴェンデンにも 『不思議の国のアリス』 をモチーフにした作品があるので、アリス・フリークの方の中にはグラハム・オヴェンデンについてご存知の方もいるのではないだろうか。

「田園主義者派」 は以下のマニフェスト

"in opposition to the scholarly nature of contemporary art which believed that paintings were only really valid if they addressed social questions. Our aims are the continuation of a certain kind of English painting. We admire Samuel Palmer, Stanley Spencer, Thomas Hardy, Elgar, cricket, the English landscape and the Pre-Raphaelites"


を掲げ活動をスタートさせたが、このマニフェストがメンバーの活動内容を拘束するということはなく、多様な活動を繰り広げていくことになる。
ブレイクは1979年にロンドンに戻り、「田園主義者派」 以前のポピュラーカルチャをテーマとした作風で英国現代美術界へ復帰。
「田園主義者派」 は創設者が抜けた後も活動を続けている。

1981年、ブレイクはロイヤル·アカデミー会員となる。
1983年、テート・ギャラリーで回顧展開催。
2002年、ナイトの爵位を授与された。


ピーター・ブレイクというと、まず、ビートルズの 『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』 のジャケを手掛けたアーティストということになり、アリス・フリークにとってはルイス・キャロルの 『鏡の国のアリス』 のイラストを描いた人という位置付けとなるのではないだろうか。
このエントリでは、ビートルズともアリスとも関係のない作品をまずポストしておくことにしよう。
ブレイクはアリス関係は取り上げている人が多いと思われ、そうすると素直にポストするのを避けたくなるという性分なので、そちらについてはそのうちポストする、ということにしたい。
ポストしたのは、

"On the Balcony (バルコニーにて)" (1955-1957)
"Girl in a Poppy Field" (1974)
"34th London Film Festival" (1990)
"Artist And Model" ()
"From Six French Postcards" ()
"The Twins in their Tea Garden (2nd Version)" (1995-1999)
"Party (Sing Song)" ()
"Party With Giaconda" ()
"He meets the Spice Girls and Elvis" (2000-2005)
"Playing Chess with Tracey" (2003-2005)
の10点。

1枚目の 『バルコニーにて』 は初期ブリティッシュ・ポップ・アートを代表する作品のひとつとして知られている。
ブレイクの関心はそれぞれ別の世界の表現とされているポピュラー・カルチャーとファイン・アートを結びつけることにあり、『バルコニーにて』 には、「LIFE」 誌や写真や小瓶や煙草 (多分昔のパッケージデザインのラッキーストライク) や雑多な小物と共にエドゥアール・マネ (Edouard Manet) の『バルコニー (Le Balcon)』 などの絵画が、アメリカの画家ホノレ・デスモンド・シャラー (Honoré Desmond Sharrer) が1951年に制作した "Tribute to the American Working People" を下敷きにした構成の中でコラージュの様に組み合わされて描かれている。
9枚目と10枚目は "Marcel Duchamp's World Tour" というシリーズに含まれる作品で、9枚目にはアンディ・ウォーホルのシルクスクリーン作品で幾度となく使用されたエルビス・プレスリーが、10枚目には現代美術の祖であるマルセル・デュシャンが描かれている。


Wikipedia
History of Art: Peter Blake
Royal College of Art | Royal College of Art Printmaking Archive
Peter Blake - Auctions: This page is sponsored by www.findartinfo.com
archivepeterblake
Waddington Galleries —
Peter Blake (British), 1932 - Featured artist works, exhibitions and biography fromWaddington Galleries
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